「広がれ、パンデイロ!」まだ見ぬリズムの先で、一打を遊び尽くす喜びを

「広がれ、パンデイロ!」まだ見ぬリズムの先で、一打を遊び尽くす喜びを

1. 「自分で作れるかも。」
2. ブラジル打楽器を作る仕事
3. ”らしさ”を織り込む
4. ずっと、「あ、できた。」を楽しみに
5. パンデイロの発展

坂東さんのキーワード – palavras-chave de Bando-san –

楽器作り カポエイラ 職人 手づくり バイーア パンデイロ ルーズさ


インタビュー 2026.1.16
公開日 2026.5.17

──はじめに、今かかわっていらっしゃるブラジル音楽関係のご活動の全体像をおうかがいできますか?

ばんどう 今はもう楽器作りだけやってる感じやね。これまでカポエイラとかサンバとかいろいろやってたけど、今は全然やってなくて。あと、楽器を作ってそれを使うミュージシャンの人に渡すから、その関係でライブを見に行ったりとかやね。


「自分で作れるかも。」

ばんどう 京都で「percusanga(ペルクサンガ)」って工房名で、ブラジル打楽器を作っています。パンデイロを中心に、スルドタンタンヘピキ・ヂ・マォンアタバキアウファイアビリンバウザブンバ……ブラジル楽器一通り作ってるね。


──カポエイラやサンバとの出会いがあり、楽器作りに至るまでの経緯を教えてください。


ばんどう ブラジル音楽との出会いは1990年代の初めぐらいやね。日本でワールドミュージックがすごい流行り出した時期で、CD屋さんなんか行くと、いろんな国の、いわゆるエスニックミュージックがたくさん売られてて。

もともとぼくは20代のころレゲエが好きですごい聴いてたんやけど、レゲエ自体が時を経て変質してきて、あるときからレゲエがなんかおもしろくなくなってきて。

「おもしろい音楽ないかな」と思って、いろんな国のね、キューバとかハイチとかドミニカとかアフリカとか、そんなのを聴いてるうちに、ブラジルのバイーアの音楽に行き着いた。Olodum とかね。「これ、おもしろいな」と思って。

あと、Gilberto Gil と Caetano Veloso もいいと思ったね。最初にぼくがブラジル音楽にハマったきっかけが、この2人の『Tropicalia 2』っていうアルバムやったんよ。「どの曲」とかじゃなくて、もうアルバム自体にすごいハマり込んで。ほんまに、これは名盤やね。



ばんどう それからはもうブラジル音楽ばっかり聴いてね。

1998年に1回ブラジルに行ってみて。バイーアにも行った。

そのときに、初めてカポエイラを見てね。ぼくは格闘技が好きやから、すごい興味を持ったんやけど、そのときはこれが自分でできるようなもんやとは思わなかった。けっこう激しいし、ムキムキの黒人が目ギラギラさせてやってるような、そういうカポエイラをそのときは見てたから。

そのあとしばらくして、今はもうないんやけど「ジンガ京都」っていうカポエイラのグループが京都にできたから、そこでカポエイラをやるようになって。カポエイラは身体を動かすだけじゃなくて楽器の演奏も必須やったから、そこからパンデイロとかやりだしたね。


──カポエイラ入り口で楽器に触れるようになったんですね。


ばんどう そのときは楽器は当然買うものやと思ってたから、ブラジルから買ってきたビリンバウとかそんなのを使ってたんやけど、まあよく見ると、ビリンバウってわりとつくりが簡単なもんやんか。

ぼくは昔、家具工房で働いていて木工をやってたから、「自分で作れるなぁ」と思って。それで、ビリンバウとかアタバキとかを作り出したのが、楽器作りのスタート。

ばんどう ブラジルには、ミュージシャンはすごい人がたくさんいるんよね。そのへんの土産物屋の親父がすごいビリンバウうまかったりとかね。

だけど、ものづくりについてどうかというと、粗雑なつくりのものが多いなという印象で。だから、パンデイロなんか「自分で作った方がいいものできるな」っていうのは、そのとき感じて。

で、実際に作ってはカポエイラやるときに持って行って、「こんなん作ったぞ!」って喜んでたんやけど、「楽器作ってほしい」っていう人が出てきたから、作って売るようになって。

そのうちに、だんだん仕事になっていったという、そういう感じやね。

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